育児
育児とは、一般には親が自分の幼い子供の世話、養育をすること。現実には、母親がその中心となることが多く、その他の家族(父親、祖父母)が分担することも多い。
新生児、幼児において
新生児、幼児においては、排泄、食事、保護などの他に、親自身を教科書として、言葉やしつけ、良好な人間的コミュニケーションの学習を援助するということもあるだろう。乳幼児の情動の表現や感情の動きは、母親の情緒の動きに連動している。母親が感情の変化の波が激しく、それを幼児にたいする係わり方にそのままぶっつければ、その情緒の不安定さは幼児も学習してしまうことになる。
大都市の核家族
周囲に乳幼児の育児経験者のいない、大都市の核家族では、しばしば母親は、子どもの健康管理や病気、しつけで自分の思うがままに、ならないことから多大な育児ストレスを抱え込む例がある。こうした若い母親の次世代育成能力の低下に対して、多くの自治体の公立保育園では、電話による育児相談を実施していたり、よく寄せられる質問に対して、Q&Aの手引きパンフレットを作成して、公的機関の窓口で配布するなどのサービスをしている。 こうした育児のハウトゥは、一般の育児のための月刊誌にもかなりの専門的な情報が特集されているのでそうしたものからも入手することが出来る。
育児ストレス
育児ストレスを、外部からの助言や援助もなく、ただ母親の責任に任せっぱなしにしていると、母親自身がうつ病傾向に陥ったり、また乳幼児自身がメンタルストレスを背負い込んだり、最悪の場合は、幼児、児童虐待に発展したりすることも少なくない(ただし、理由はどうあれ虐待は立派な犯罪行為であるが)
小中学生以上になると
小中学生以上になると、もはや育児とはいわず、むしろ子育てという言い方をする。 一生懸命子どもを育てようとがんばっている親はおおいが、コミュニケーションは 相手(子どもの気持ち)を理解する、共有することであるという基本的な認識も知識も 乏しいため、一度伝わらないと、親の気持ちが鬱になったり、マニュアルを求めたり 投薬的な急な成長を求めたりする。親が子どもの成長を待つことができない。存在自体が かわいいとは思えない。子どもが変化しているとは思えない。子どもはいつも無償の愛を 求めて待っている。教師に親的な扱いを求める子どもも少なくない。電波のような求める信号を脳から送っているともいえる。早期教育をビデオやテレビで行いすぎるとそういった 電波を発するのではないか。親とのコミュニケーションよりも習い事の先生と一対多のコミュニケーションをしすぎてそれを親がほめるととんでもない価値観が生まれるのではないか。広いところでいるとのびのびと走り回ることはいいのであるが、雑踏にはやくからつれていくとざわざわしているほうが落ち着くということも学校現場で発見できる。これは 刻印付けではないかといえる。
